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実家を解体した方、喪失感はどのくらい続きますか。経験を教えてください

<2022年12月09日 受信>
件名:実家を解体した方、喪失感はどのくらい続きますか。経験を教えてください
投稿者:匿名

父が亡くなって40年、母が亡くなって5年余り、実家を解体しました。
筑80年ほど、貸家にするにはかなり手を入れなければいけないし、売却できるような家でもなく、草刈りやメンテナンスに疲れたというのが本心です。
松本明子さんが両親の死後、実家を守ってきたが売却するまでに1800万くらいかかったと言っているのをTVでみましたがそんなにはかからなかったけれども維持費はかかりました。
母は亡くなる5年前くらいから我が家に同居していたので断捨離はできておらず、3部屋は片付けましたが後はギブアップして業者に片付けてもらいました。
父が建て、母が守ってきた実家を解体することには抵抗もありました。大地震でも来ない限りおそらく後50年くらいは倒壊せずに保てるでしょうが子供たちにその役を担ってもらうことは気の毒だと考えました。
台風のたびにどこか壊れなかっただろうかと心配し、横の川が溢れなかっただろうかと心配する必要はなくなったけれども、もう帰る実家がないのだと思うと喪失感が続きます。
実家の始末は私の役目とわかっていたけれどもなんとなく不安定な日々です。時間が解決してくれるのでしょうが経験者の方にうまく乗り切る方法があれば教えていただきたいと思います。

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No.1
<2022年12月12日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

誰も住まなくなった空き家が数件町内会にあるものです。
1件は県境してでもここ20年手入れしに来てくださるのですが毎回毎回近隣に手土産持参しご挨拶してからの作業をしてくださっています。建物は築60~70年。作業する方々もどう見ても70代~80代。今後どうなさるのか。。。
同様な頃建てられたお宅、どう見ても廃屋。庭木は生い茂り道路に覆いかぶさり電柱電線を巻き込んでます。先日たまたま井戸端会議をしていた時に配線先で火花!町内会長に報告しすぐさま自治体に伝えていただきました。冬の乾燥で火災になるやもしれず早くどうにかしていただかないと延焼されては大変困る事態なのです。台風や雨風の強い日の翌日や落ち葉の季節、迷惑してます。
漏電火災、本当に怖いです。野良動物の糞尿臭や害虫、不法侵入の集まり場所、倒壊に当家も巻き込まれるかもしれないなど所有者たちは固定資産税などなどを支払っていれば済む話かもしれませんが、市街地の廃屋や空き家は近隣のものにとっては頭の痛い問題なのです。それを主様は解決してくださっています。素晴らしいお人です。衣食住の住問題を解決してくださりきっと周囲の方々も感謝と安堵です。それを草葉の陰からご両親様も誇らしくおもっておられると思います。


No.2
<2022年12月12日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

 私の実家は4年前の豪雨で5m浸水しました。80代の両親は着の身着のままで2階から船で救出されて、そのまま避難生活になりその後我が家へ、その後アパート生活を3年ほどしましたが、それぞれ持病を早めに悪化させて(?印象です)次々に逝ってしまいました。実家はボランティアさんの助けも借りて片づけて半年後位に公費解体してもらいました。有難いような得難い経験をしました。国にも県にももちろん市の職員さんにはとてもお世話になりました。あのまま災害に遭うことなく静かに暮らせていたら、両親はまだ生きていられたかもと思うと悔しさも有ります。実家の解体、喪失感・・・と有ったので思わず経験を書きました。年齢的に仕方有りません。私は長めに両親と居られて幸せだったと思います。先日実家の土地が売れました。父が生きていた頃に不動産屋に依頼してあったので連絡を頂いた時は嬉しかったです。「水害に遭った土地なんて誰も買わんよな・・・」と生前に話していたので・・両親が私が辛くないように買主さんを引き合わせてくれたのだと思いました。固定資産税や除草代もかかるので助かりました。空き家問題など大変な世の中で、暮らしていたら色々有りますが、何とか墓参りしながら両親に感謝して・・・普通に暮らして行こうと思っています。


No.3
<2022年12月12日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

私はまだ実家に身内が一人住んでいますが、何年後かには全て私が管理しないといけない状況で凄く悩んでいます。養子の身でありなが育ててもらった感謝から、自分が元気に生きてる内は売ったりする事は考えていません。だけど、実家の片付け、ある程度土地の管理をするようになりもうすぐ一年が経とうとしていますが、かなり大変で時間がいくらあっても足らない位です。また中年で年々体力低下と慢性腰痛もあるのが辛い所です。仕事も役割多いし、、、

とりあえず、色々な本を読んで少しずつでもいいから行動する事で一旦不安感は軽減されましたが、主さんのように誰もいなくなった実家を考えると時々不安で苦しくなります。
解決策のコメントではありませんが、主さんのスレを読んで同じ気持ちの人がいて、自分だけがこの苦しみを背負っているんじゃないって感じました。
私も他の方のコメントを参考にさせて頂きたいと思いました。


No.4
<2022年12月13日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

私も今同じ問題に直面してます。
父と二人暮らし。40代前半の男性看護師です。

築80年を超え老朽化も限界、かといって高いお金を出して工事してもいつまで暮らせるのか。他にも色々な事情があり…。だったらそのお金を家の片付けと解体費用に回して…という事で先日アパートに引っ越しました。

今から実家の片付けと、解体に向けて段取りしなくてはなりません…。何もかも手探りですが、家が密集してる地域なだけに1番さんが仰る問題もあります。あまり先延ばしにはしたくはないのです。
今年に入り、コツコツとゴミ出しをしてきましたが、80年分の片付けは中々はかどりません。最終的には業者にお願いする事になるとは思いますが、お金の問題もあるので、出来るところまでは…といった所です。おそらく解体の難度も高く、費用もどれだけかかるのか…。
父も高齢でお金も体力もなくあてになりません。もっともっと早く向き合うべきだったと、考えれば考えるほど気が重くなりますが、仕事も比較的順調、収入も安定してきた分、お金がかかってもまだ立て直せるだけの余力がある、と思える今がチャンスだと前向きに考えるようにしてます。

でも、いざ実家がなくなると、気持ちが軽くなるのと同時に寂しくなるのだろうな…と思います。
何の助言にもなりませんが、決して間違いではないと思います。
何だか思わず投稿してしまいました。


No.5
<2022年12月13日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

台風のたびにどこか壊れなかっただろうかと心配し、横の川が溢れなかっただろうかと心配する必要はなくなったけれども、もう帰る実家がないのだと思うと喪失感が続きます。

喪失感は建物にではなくお母様がなくなったことに対して感じているのではないでしょうか。
帰る実家があっても会いたいご両親がお亡くなりになっているのですから、メンテナンスを心配することなく家ごとスッキリ片付けができたのですから羨ましいです。
私は親と一緒に暮らしていたので、父がなくなり10年後に母が亡くなり、少しずつ処分しています。自分が買ったものだけでも十分生活ができて余るのに、自身が思い出にこだわるので捨てたら申し訳ないと考えてしまって親の衣類や手作りの品、飾り物、必要なものなんて一つもないのに、一気に捨てる覚悟ができません。6畳の部屋一つ、10畳ほどの小屋一つの荷物を全て捨てたら喪失感を感じるのでしょうか。捨てるんじゃなかったーと後悔するのとは別ですよね。


No.6
<2023年01月20日 受信>
件名:無題
投稿者:トピ主

お返事いただいた方々ありがとうございました。
実家を解体して40日余り。気持ちの整理はできていませんが…おそらく私が死ぬまで持ち続けるのでしょう。

母は地元の人なので父の出身地に両親の写真を持って旅してきました。兵庫県加西市 父の異父弟妹が住んでいる地域です。異父弟妹も存命ならば110歳くらいなのでおそらく故人です。

私が一度だけ加西市に行ったのは9歳の時、市町村合併もあり、父の死後は賀状の交換もなくなり、訪ねてから60年近い月日が経っています。10年くらい前(母が存命の時)父の甥にあたる人が訪ねてきたので家が存続していることはわかっていましたが、忘れ去られていた故郷です。

なぜか父の故郷が気になり、旧町名と番地を覚えていたので電話帳で調べると弟と妹と思われる家を発見しました。農家なのでおそらく転居することなく住み続けたのでしょう。もう一人の弟は後継ぎが早くに亡くなったので見出せませんでした。

付近の様子も家の佇まいのも変化しているので(私の記憶もあやふやなので)訪ねることはなく付近を回って帰ってきました。あの時会った従兄弟もすでに70代後半から80代後半。世代交代も2代くらいはしているだろうから尋ねても相手も困ると思ったからです。

ネットと電話帳とナビは素晴らしいと感じました。心の隙間は埋まらないけれどささやかな旅でした。


No.7
<2023年01月21日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

ある意味センチメンタル・ジャーニーをしてきたのですね。
自分は子供の頃住居を転々として今の家に定住したのは20歳を超えてからです。それから30年くらい経ちますが両親が亡くなり子供の頃の思い出もない実家にひとりで暮らしています。

友人は転勤族と結婚し最終的には羽田で乗り換える必要がある遠く離れたところに家を建て腰を据えました。お父様が亡くなってから実家を売払い墓じまいもしてお母様をこちらへ呼び寄せ一緒に暮らしています。
最近はコロナで交流が多かった地元の友人とも直接合うことも少なくなり、職場では仕事以外の付き合いもありません。
遠いところから来た友人親子の話を聞き、自分が今の土地、地域にこだわる必要もないなと考えるようになりました。
最近温泉リゾート地の空きマンションが安く売りに出てるのをネットで見かけるようになり、管理費は家賃並みに高いのですが100万以下20万というのもあり色々と調べているところです。
年金が貰えるようになるか仕事ができなくなったら今の家を売払ってそのマンションに引っ越そうかと考えています。
トピ主さんは実家から遠く離れたところにお住まいですか。お墓参りの時期には泊りがけで実家に帰省していた感じでしょうか。これからはどこか近くのホテルに泊まってお墓参りですか。墓じまいやお墓の移転などもしたのでしょうか。
それともご実家と同じ地域にお住まいでお墓参りに不都合はない感じでしょうか。
自分は形式だけのお墓のつもりだったのですがいざお墓ができてしまうとお参りしないと申し訳ないと言う気持ちでお参りしています。お墓をなくすことのほうが喪失感が大きいのかと。


No.8
<2023年01月23日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

トピ主さんの文章が美しいので、小説の一部を読むような気持ちになって読みました。ご実家、解体されたのですね。最初の投稿の後、どうなったか気になっていました。ご実家があるというのは管理が大変でしょうけど羨ましく思います。年を取ると、自分のルーツに郷愁のようなものを感じます。実家とか本家とかいうのは正にそれですよね。このコロナ禍で知らないうちに親戚が墓仕舞いをしたいと言ってきて、ひどくショックを受けました。今まで様々な喪失体験がありますが、自分のルーツに関わるものは単純に時間が解決するものではなく、多分一生抱えていくもののように思います。
数年前、職場まで車で通う道すがら、田舎風の家と畑を見かけました。何か懐かしい思いで、そっと見守る気持ちで通っていました。最近その道を通ったところ、その家も畑もなくなり、後には今流行りの高級なプレハブ住宅が幾つか建っていました。つまらない世の中になったなと思います。
なくなった家のことを考えると、胸がぎゅっと締めつけられます。まったく知らない人の家なのに。人や人の生活が消えていくのは寂しいものです。
トピ主さんのご実家も、もしかしたら人知れずどこかの誰かが、そっと見守っていたかもしれませんよ。
トピ主さん、旅をして遠い親戚の方の近くにも行かれたのですね。コロナ禍だから仕方ない。会わない選択を私もしたと思います。でも小さなお土産を持って、ピンポン鳴らして、自分はこういう者だけどこういう理由で近くまで来ました、新幹線の時間あるからもう行きます、後で手紙を書きます、ではさようなら、と顔だけ会わせたいな、と想像します。想像するだけなんですけどね。


No.9
<2023年01月23日 受信>
件名:No7さんへ
投稿者:トピ主

実家と嫁ぎ先は3kmくらいしか離れていません。実家の墓は2.5Kmくらいしか離れていないので行政区は違いますが同じ区域です。
嫁ぎ先の墓の横の土地は空いていますが(我が家に所有権がある墓地)実家の墓(土地は購入したもの)は百年分管理費を地域に払ってあるので墓じまいの予定はありません。
私の子孫が続かずたとえ無縁佛になっても仕方ないと思っています。

兵庫県加西市は私が住んでいる地域から200kmくらい離れています。高速でいけば2時間余りです。
私の祖母にあたる人は私が加西市を訪れた時すでに亡くなっていたので写真は見た記憶がありますが名前もおぼえていません。死因は教えてくれましたが名前は教えてくれなかったように思います。仏壇に参ったのと墓参りにも行きましたが当時土葬だったようで「端を歩くと土が崩れる」といわれたことが印象に残っています。時代劇では見たことがありましたが実際の土葬の墓を見たことがなかったので幼心には少し怖かった体験でした。

4年くらい(若いころ)実家から30kmくらい離れた土地に住んでいましたが狭い地域で生活してきました。
余談ですが私は県外への転勤のない人を選びました。息子の嫁も県外への転勤がない人と息子を選びました。


No.10
<2023年01月24日 受信>
件名:No8様
投稿者:トピ主

気にかけていただきありがとうございます。ある程度の年になると実家じまいや墓じまいが降りかかってくる人も多くなるように感じています。
夫はおそらく私が喪失感を感じていることに気づいていません。今年サファイア婚を迎える夫婦です。母も晩年我が家で過ごしており、急性心不全という診断名でしたが昼食後お昼寝をしてそのまま百歳で亡くなりました。少し歩行は困難でしたが天寿を全うしたと思っています。

実家は県道の横に建っていましたが貸家にするにもリフォーム工事でおそらく1000万以上は必要だろうし、息子の家は建ててあるので借り手が現れなかったときは管理だけが必要な空き家になります。最近は空き家の解体補助金もありますが、現住所と実家では行政区が異なり解体補助金の対象にもなりませんでした。業者に解体を依頼して仏壇の魂抜きには参加しましたが後は更地になるまで見に行きませんでした。水道と電気の解約手続きをしただけです。
田舎の一軒家、我が家も比較的大きな家なので使えそうなものは持ち帰りましたが2間分の押入れに一杯詰まっていた寝具にはお手上げでした。我が家は本家なので大抵のものは揃っており、実家から持ち帰ったものはそのまま置かれています。

最近大きなお屋敷が解体され、分譲住宅や賃貸し住宅が建つことが増えました。実家付近も昔は家が2軒だけある地域でしたが県道に沿って事務所や駐車場、賃貸し住宅、モーテルなどが立ち並びました。
草が生えないようにシートは貼ってありますが100坪ほどの土地は悩みの種です。


No.11
<2023年01月25日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

2間分の押入れに一杯詰まっていた寝具、、、我が家にもあります。いらないってやめさせようとしても受け付けづ、母が注文して購入した組布団、座布団セット。母の代でも使うこともなく、私はお客を招くことはない。兄弟で一生かかっても使いそうがない。高級真綿ふとんより羽毛布団のほうが軽くて安い。
布団他諸々を地道に市の処理場に車で廃棄に行ってます。
編み物好きな母のお気に入りセーターや残り毛糸や着ることのない和服、サイズの合わない母の服も捨てられずにいます。亡くなって1年目、2年目、3年目と徐々に思い入れが薄くなったのと、部屋の片付かなさが嫌になり捨てられるようになってきました。喪失感半分スッキリ感半分な感じです。

 
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