私の家では、普段のおやつは塩味やしょうゆ味系のおせんべい等が中心でしたが、
風邪をひいて熱が出たときだけは、親が特別にバニラ味のアイスモノカを買ってきてくれました。
当時から甘いもの大好きだった私はこれがとても嬉しくて、今でもときどき思い出します。
皆さんの家でも、風邪を引いたときに特別にしてもらったことってありますか?
瓶のコーヒー牛乳と、桃の缶詰めを出してくれました。
当時はごちそうでした。
あ、年齢がバレた(汗)。
プッチンぷりん・・・最高に美味しかったなぁ。
いつもは厳しい母が、優しくしてくれるのも好きだったなぁ。
それよりも、近くの医院に行くのが楽しみで楽しみで。
聴診器や医院の匂い、注射器なんかチラッとでも見えたら大コーフン!
看護師さんを穴が空くほどガン見してた(笑) あ、尊敬の目ですよ。
どなたか患者さんが注射してたら、そばに行ってジーーーーーー(゜_゜)
何で注射器に血が入ってるんだろう・・・・って。
何てウザイ子供だったのかしら私って。
話がそれて、ごめんなさい <(_ _)>
私は桃の缶詰でした。
あと喘息持ちで喉が苦しそうだったからでしょうか?氷砂糖を袋で枕元に置いてあった記憶があります。
あとは遊び回って滅多に帰ってこなかった父がフルーツ牛乳を買って入院している病院に持ってきてくれたこととか覚えてます。
うちの子達は風邪をひくとハーゲンダッツのアイスが買ってもらえると刷り込まれてます。
高校生以上ばかりなのに「風邪気味~。ハーゲンダッツ~。」とねだります(笑)
すりおろしたリンゴかな~
すぐ茶色になっちゃうんですよね
でも、おいしかった…
私も桃の缶詰めを食べさせてくれた事が忘れられません。しかも、黄桃です。
おいしかった~。
リンゴとか、大好物のなんとか。なんてのは、有りませんでした。
余程の容態でないと、優しく看病もしてもらえず、母特有の大好物を出してあげるから元気出して。と初めて、最初で最後、19歳の頃に言われただけです。
当時は、自分の能力の限界とか、今後やっていけないと感じ、本当に落ち込んでる時、その症状を信じたのですが、こういう時、大好物なんて食べたくはないじゃないですか。
なのに、私がへんくつなのかもしれないのですが、「嫌・・・。何もいらない。」と言いました。
心身症、っぽいその症状の頃ではなく、普通の風邪や吐き下しをした時のケアが、なく、自分で治せと普段は言います。
何かない限りやすまないで通っておくれ。
そんな母でした。
「あんた」と呼ぶ親にろくな親がいない、それはその通り。
もっと優しい母がよかったな・・・。
食べる元気が無いからねぇ、プリンやりんごをすりおろしたわた私は43歳ですよ(^w^)
わたしも桃の缶詰時代です。
そのせいか疲れたり、調子わるいとネクター飲みたくなり、飲んでます。
私も、桃の缶詰でした。おかゆを作ってくれて、母のお手製漬けの梅干しと一緒に食べた覚えがあります。 のどが痛くて 熱が高い風邪の時には、豆絞りに
日本酒を浸して 喉の回りに巻かれて 寝かされました。その日本酒、臭くて 臭くてね~たまりませんでした。どんな意味を持つのかな。喉の腫れを改善するのかな。今となってはわかりません。小学生の頃の記憶です。
風邪引いて 医院に連れて行かれると、注射が多かったです。私、42歳です。
プリン、ハンバーグ、すりりんご…。
そんなのは、あこがれで、そんな子を見ては、本当に、宝子で、親に可愛がられるんだ…。
あまり大事にされないし、そうだから、一人ぼっちで、友達も貧乏だからできなくて、自分で自分のバースデーをいわったりしたとか、遠い過去から親にはやっぱりいい子には、見られずにいた自分自身からは
そんな女の子たちが
同性として極度に羨ましく
すっごく かわいく見えて、羨んでましたね…。
毎日の勤務お疲れ様です(^_^)/~
大変な過去を語って頂いてありがとうございます(/_;)
上手くは表現が出来ませんが…乗り越えてこられたので現在があるのではないのでしょうか…
子供の頃、風邪の日のご馳走は酒粕から作った甘酒でした。
生姜の入った母特製の甘酒を飲むと、美味しいだけでなく愛情が全身に染み渡り心も身体も温まり、たちまち風邪が治っていくような錯覚をおぼえました。
今考えると、保温効果や発汗作用など療養の理に適っていたんですよね。
母あっぱれ!です。
現在私は母になり、娘が風邪のときはやはり生姜入り甘酒を作っています。
将来娘も母になったときにはきっと…、うふふ。
プッチンプリンがはやるちょっと前だったせいでしょうか
蒸し器でプリン作ってくれました
私もすりりんごでした。
そういえば風邪ひいたときしか出たことがないですね。
近所の医院は女医さんで、ルゴール塗られて泣きそうになると「肝油ドロップ」をくれました。
小学生の頃から甘ーい砂糖+卵の黄味+日本酒を鍋にかけた卵酒でした。風邪引くと、今では自分で作って呑みます。
桃の缶詰やパイナップルの缶詰だったなぁ~あっ婆ちゃんが煮込んだキンカンの甘煮、咳に効くって布団かぶって寝て汗かけば治るよ~って時代でした、飲んだ薬はケロリンだったかな~昭和チックでしょ。
大根イチョウ切り、レモンの輪切りスライス、蜂蜜漬け。
自分の子供にも作って飲ませました。
抜群に効くと思い込んでいます
風邪をひいた時、体調が悪い時、母がよくプリンを買って来てくれました。
熱が出ると『プリンが食べられる!』と密かに喜びました。
今でも風邪をひいた時、体調が悪い時はプリンを食べます。自分は愛情を持って育ててもらったのだと、改めて両親に感謝します。
風邪をひくと、「リンゴに砂糖をかけてレンジで温めたもの」を母が食べさせてくれました。
リンゴを食べ終わると、いつも龍角散を舌の奥に乗せられて、ごっくん。
「苦いのに我慢して偉いね」の魔法の言葉に、ルゴールも我慢しました。
今も風邪をひくと、リンゴをチンして食べています。
食べる元気が無いからねぇ、プリンやりんごをすりおろしたわた私は43歳ですよ(^w^)
私は唯今風邪です。
ですので、プリンと、夏には絶対、桃にしたいものだけど、りんごとみかんとしてます!
片栗粉大匙2くらいに水少量で溶いて砂糖適量混ぜて熱湯かけて掻き混ぜ透明になったら出来上がりo(^-^)o
母からの薬やね
チョコビさん、懐かしい味思い出しました!。そうそう、熱で味がしないのか不思議に思いながら、それでも素朴な味を楽しんだ記憶があります。ありがとうございます、久々にやってみようっと!。
私も、何十年ぶりかなぁ作りたくなりました
o(^-^)o
懐かしさを共有できて嬉しいです。
母は手際の良い人でした。風邪をひいたときは卵雑炊でした。
幾度も母と同じ味を出したいと卵雑炊を母に習いましたが、同じように出汁を取り、同じように調味料を入れるのに満足する味を出すことはできませんでした。
母は高齢でしたが先日昼寝をしたまま旅立ちました。料理上手な母に甘え、十分に会得しなかったので、未完成のまま、卵雑炊は永遠の課題になりました。
熱を出した私に、とっかえひっかえ冷たいタオルを絞って額にのせてくれたおばあちゃんを思い出します。数十年前の話です。
最近孫が高熱を出し看病しましたが、絞ったハンカチをフワッとのせてみました。
「ふ~気持ちいいネ」とネンネしました。
ペタンコと貼るのもあったのですが。
昔のやり方は愛情がありますね。
翌朝はぴんぴん元気で「ご飯たべたいーー!」と起きました 笑
卵雑炊ですが味付けっていうとだし、味噌、卵、味の素を隠し味に入れています。風邪ひくと作ってと言われるうちの定番です。子供の頃は桃の缶詰めが嬉しかった記憶があります。りんごのすりおろしも楽しみでしたね。
みんないいなあ・・・
私は風邪をひいてもまったく熱が出ないので、あまり何かしてもらったことがありません。というのも母が「熱がないなら大丈夫」という考えの人だったので。
どれだけ鼻水ズルズルで咳しまくって声が出なくなっても学校に行かされたし、食事も普通だったし、冷えピタも貼ってもらえませんでした。
熱が出たら優しく看病してもらえたのかなあ・・・。
でも体温が37.5℃超えたのなんて、これまでの人生で片手で余る程度なんですよね。なんか損した気分。
レディーボーデンとかすりリンゴ
風邪をひいたとき・・・
私も皆さんと同じ様に、母や祖母から愛情たっぷりに看病してもらいました。
しかし、私の娘はどんな思い出があるでしょうか・・・
核家族で、母である私は仕事優先で、「困ったな」と、必ずつぶやいて・・・
娘は辛かったと思います。
風邪を引くと喘息発作もあり、夜間2回救急外来受診すると入院でしたので、
本当にギリギリまで受診させず、車の中で抱っこして寝ました。
あの時代、私の職場は自分の病気でも、子供の病気でも休めませんでした。
娘には本当に悪い事をしました。
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