ナースの休憩室(雑談掲示板)

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一生の感謝、でも。

<2011年09月01日 受信>
件名:一生の感謝、でも。
投稿者:もんち

少し暗い話しになって
しまうかもしれませんが、
私は今回の震災で生死を
さ迷いました。
その時お世話になった
救命センターの方々に、
本当に感謝しています。
危篤でしたので、
助かったのは奇跡だと
言われました。

でも…
私が震災でケガをしたのが
頭だからなのか、
手術したからなのか、
救命センターの看護師さんの
顔が思い出せません。
もちろん意識がなかった
ときは何も分かりませんが、
意識が戻ってから何日かは
いたので話しもしました。
なのに、誰一人。

退院してからお礼の手紙は
書きました。

でもすごく悔しいんです。
あんなに色々やってくれて…
きっと、意識なくても
声をかけてくれたり、
まだ若い私に、体拭くとき
気を使ってくれました。
なのになんで思い出せない
んだろう。

24年間生きてきて、
こんなに感謝したことは
ありません。

救命センターの皆さんだけ
ではなく、
救急隊、
ドクターヘリの方々、
手術に関わった方々、
救命センターの方々、
一般病棟の方々、
皆さんに、本当に感謝して
います。

救命センターの方々のこと、
思い出せなくて悔しいのと
申し訳ない気持ちと…m(__)m

覚えて欲しくて仕事してる
訳ではないと思いますが、
覚えてないなんて本当に
申し訳なくて…。

覚えていたら、
通院のときにすれ違ったら
「ありがとう」って
言えるのに。

でも
顔は覚えていないけれど、
この感謝の気持ちは
忘れません。

今ある私の命、
皆さんのおかげです。
本当にありがとう。

いつか声で感謝を
伝えたいです。

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No.1
<2011年09月01日 受信>
件名:無題
投稿者:アルミ伯爵

あなたがこれからの人生、「生きていてよかった」と楽しく笑顔で感謝して生活していく事がその方々への最大級のお礼なのではないでしょうか?言葉じゃないんですよ。これからのあなたの生き方です。


No.2
<2011年09月01日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

もんちさん身体の具合はどうですか?
救命や手術場での勤務経験がありますが、ひょこっと元気なお姿を拝見したりすると思わず心の中でガッツポーズ!っていうか
にんまりしてしまいます

覚えてもらえてなくても元気な姿を見るだけで嬉しいのです(笑

なのでそんな悩まないでください


No.3
<2011年09月02日 受信>
件名:無題
投稿者:もんち

書き込みありがとうございます。
アルミ伯爵さん、
言葉ではない。
感謝して生きて行く。
その通りだと思います。
でも、覚えてない悔しさが
心の中にあるんです…。
言葉は伝えられなくても、
せめて覚えておきたかった…。
覚えて生きて行きたかったんです…。
それが悔しいですm(__)m

No.2さん、
身体の心配ありがとうございます。
外来で病院に行った時に、
売店などで救命センターの服を
着た方を見かけます。
その時、その方がもし私の事を
覚えていて、No.2さんのように
思っていてくれたら嬉しいです
(ノ_・。)
そう言ってくれてありがとうございます!!

でも見ても思い出せないです…
なんでだろう(*_*)


No.4
<2011年09月02日 受信>
件名:これからも命を大切に
投稿者:だんごちゃん

震災で大変な目に合われた方はとても多いと思います。中には今でも入院されている方もおられるでしょうし日本全体が震災の影響を受けています。その中で命が助かったという投稿を見て本当に良かったと安堵しております。現場は違うけれど命を預かっているという点では私も同じなので。危篤状態で職員の顔を覚えていないと言われておりますが職員はきっと覚えていると思いますし例え貴方がわからなくても何処かで見られ、とても安堵されて、お元気になられて良かったと思われているはずです。どうか助かった命をこれからも大切にされて下さい。私も微力ながら毎日、現場で奮戦してがんばって行きます。


No.5
<2011年09月02日 受信>
件名:無題
投稿者:被災地の看護師

まずは生命が助かったこと、本当に良かったですね。

私も被災地にいて、本当に大変な思いをしました。幸い避難が間に合ったうえ、自宅は小さな被害で済んだのですが、父や親友が津波に巻き込まれました。親友は遺体で見つかり、父は未だ行方不明のままです。父を探すために数多くの御遺体と対面して来ました。「看護師さんだから、遺体見るのは慣れてるでしょ?」なんて言う人がいますが、看護師だからは通用しません。病気で亡くなる方のような安らかさはありません。損傷はかなり激しく、時間が経過して発見された御遺体は、…すみません、言葉が見つかりません。身も心もボロボロになりました。街もガレキだらけでメチャクチャ…。心の底から、もう誰にもこんな思いをさせたくない!と思います。

あなたを助けてくれた人々は使命を果たしたまでです。感謝してもしきれない気持ちはよくわかりますが、それに応えるには、あなたも使命感を持っていただきたいと思います。

その奇跡的に助かった生命を精一杯生きること、そしてもうひとつ、あなたの体験談(何故流されたか、何故助けてもらうことが出来たか)を世に広めることで、これから起きる大災害から沢山の人々を救って下さい。けして風化させないで下さい。それが巡りめぐって恩返しになるのではないでしょうか? 私も沢山の人にお世話になりました。今もお世話になっています。感謝してもしきれません。だから、自分がやるべきことは風化させない、みんなを守る!! それだ!と思っています。
体験者だからこそ出来るのです。亡くなってしまった方々の分も、生き延びた私達は、使命を果たしましょう。
私が、津波浸水予想区域ではなかった自宅から無事に避難出来たのは、昭和三陸津波とチリ津波の経験者である高齢者から、日頃から津波の恐ろしさを聞かされていたおかげなんですよ。


No.6
<2011年09月02日 受信>
件名:無題
投稿者:被災地の看護師

すみません、あなたは流されたとは書いていませんでしたね。

私の周りに、流されても助かった方もいたもので、つい…


No.7
<2011年09月02日 受信>
件名:無題
投稿者:No.2です

>でも見ても思い出せないです…
なんでだろう(*_*)

生死を彷徨う辛い経験に
神様はそれ以上心の痛みや身体の痛みを与えないように
記憶を曖昧にしてくれてるのですよ

医学的根拠は全くありませんが、脳内麻薬の存在や逆行性健忘など、辛い時に心を守る不思議な力が人間ってあるんですね

直接お礼を言えない辛さを緩和するには
もう一度お手紙を書かれてはどうでしょう?
思い出したくても思い出せない
けど感謝していますって

そんな手紙もらったら
私なら一緒にごはん食べに行きますけどねw
もちろんお支払いは私がw
それほど嬉しいもんですよ


No.8
<2011年09月03日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

もんちさん あなたの書き込みをみて涙がでてきて止まりませんでした

何だろう
震災のあとテレビで被災地をみて 食事中だった私は急に胸が一杯になり嗚咽をもらししばらく涙が止まりませんでした 何もできない自分に、日本でこんなことが起きた現実に
もんちさんは生きることに必死だったと思います 生きなきゃ 元気にならなきゃ いいあらわせぬ不安との戦いだったのではないでしょうか わかりきった様なことをかいてごめんなさい あなたが元気になり、ありがとうと伝えたことで十分だと思います 思い出せないのは当然です 思い出したくないことでもあると思います あなたが助かり、元気になり、それを読んで私はとても嬉しいです 生きていてよかった 助かってよかった


No.9
<2011年09月03日 受信>
件名:無題
投稿者:もんち

だんごちゃんさん、
そうですね。
もう退院出来ている私は
幸せかもしれません。
命を大切に生きていきます。
だんごちゃんさんも、
現場でたくさんの命を
救えるように頑張って下さい。


被災地の看護師さん、
そんなに辛い経験を
しているのに、
私なんかの話しに
付き合ってくれて…
申し訳ない気持ちです。

たくさんの方が、
家族を亡くし、友達を亡くし、
仲間を亡くしたのに、
私は何を言ってるんでしょうね。
たくさんの方がまだまだ
悲しんでいるのに。
本当にごめんなさい。

私は津波で流された訳では
ありませんが、
この経験を、その時助けて
くれた救急隊の方が学会で
発表するそうです。
この経験がいつか誰かの
何かの役に立てばいいなと
思います。

この気持ち、
絶対に風化させません。

頭に衝撃を受けたので、
地震の揺れは覚えていません。
でも3月11日と言う日、
絶対に忘れません。
忘れてはいけない日です。


No.2さん、
人が生死をさ迷うときって
凄いですね…
神様が痛みなどを
くれなかったのは、
本当かもしれません…。
何も感じませんでした。

手紙一回しか書いてません
けど、正直に覚えてないこと
書きましたよ。
お食事なんか行けたら
幸せです♪
手紙はそのうちまた、
書きたいと思います☆

あと私、自分の姿見たんです。
自分が寝てて、
看護師さんが来て、
「先生、レベル2です!」
とか言って人が集まり出して…。夢ではなく現実で、
多分私は意識がなくて、
でもうしろか上から自分を
自分が見てて…(笑)
そんな事ありますかね?


No.10
<2011年09月03日 受信>
件名:無題
投稿者:被災地の看護師

話が反れてしまうことを最初に御詫びします。

遺族の1人としては、「津波に巻き込まれたときにどんなに怖くて苦しかったのだろうか…。あまり苦しまずに逝っていれば良いのだけれど…。」と思います。だから、主さんが覚えていらっしゃらないことがあるということや、No.2さんの後からのコメントの通りだとすれば、父は耐えられないような苦しみは感じずに逝けたのかなぁ… と少し安心出来ます。

生存者の中に「津波に巻き込まれてすぐ気を失ったのか、気づいたら病院のベッドの上だった。」と話された人がいました。

覚えてないことは、けして悪いことではないですね。苦しみを回避するための人間の能力なのですね。


No.11
<2011年09月05日 受信>
件名:無題
投稿者:No.2です

>もんちさん
心霊の世界で言う臨死体験というものですかね。私は宗教家では無いし、死後の世界があると考えているわけではありません。医学的な事で理解しようとすれば、もんちさんはせん妄状態であったということでしょうか・・・・いわゆる金縛りというのは脳が覚醒状態でも身体は睡眠状態であるため、物音はよく聞こえるけれど手足は動かないということだそうです。(間違いかもしれません)
でも、亡くなる直前の方が「病室にいっぱい知ってる人が迎えにいてくれてる」と言った方が1人では無く数人おられました。何か不思議な事が現実としてあるのかもしれませんね。

>被災地の看護師さん
お父さまの事、言葉もありません・・・苦しまずにと思うのは痛いくらいにわかります。またそう願います。
ALSの患者さんが人工呼吸器を導入するか否かの決断を迫られた時、人工呼吸器を導入した患者さんが後に語った中に「少し苦しかったけどホワーんと気持ちよかった。多幸感を感じていた」と言ったそうです。

私は神様なのか人の力なのかわかりませんが、今まで一生懸命生きてきた人が命を落とすような場で、さらなる仕打ちはないとそう信じています。


No.12
<2011年09月06日 受信>
件名:無題
投稿者:もんち

No.8さん、
私なんかの話しに涙して
いただき…ありがとうございます。
私は不安も何も
ありませんでした。
意識が戻って、
「一体自分に何が起きたの?」
そう思いました。
あとは、人工呼吸器が
苦しかったり、
自分の姿を見たときになって、
坊主頭になってる事が
ショックでした。
手術をして助かった
んだから坊主なのは
仕方ないんですが…。

退院して強く心に思った事は、
いつ死ぬか
わかんないんだなって。
だから、
友達を大切にしよう、
家族を大切にしよう、
伝えたいことは、
伝えたいときに伝えようって。
ごめんねもありがとうも、
素直にその時に。
今回伝えられなかったし…。
そんな後悔しないように。
死んだら言えないから。
No.8さん、名前も知らないのに
涙を流していただき、
嬉しいと言っていただき、
ありがとうございます。
そう言ってくれて、
私も嬉しいです。

被災地の看護師さん、
もし、私があのまま逝って
いたら…、きっと痛みも
苦しみも、何も感じずに
逝ったと思います。
だからきっとお父さんも、
苦しまずに逝ったと思います。
安心してください。
お父さんも、
気付いたら天国で
あなたの事見守っている
んじゃないでしょうか。
そう思っています。
そう信じてます。

No.2さん、
その時私は
人工呼吸器をされていて。
寝たきりの自分を見るなんて
不思議なものです。
忘れられません。
>命を落とすような場で、
さらなる仕打ち…
私もないと信じたいです。


No.13
<2011年09月06日 受信>
件名:無題
投稿者:被災地の看護師

もんちさん、No.2ですさん、救われました、私…。 ありがとうございます。

もんちさんの「安心してください。」の言葉に涙が溢れてきました。父が流されるときの状況を母から聞いていますが、その状況からすると、恐怖→逃げ遅れた後悔→死の覚悟→流される といった気持ちの推測が出来ます。流されてからは即死に近かったでしょう。漁業をしていた父は、資材を避難させるために浜に下りてしまったんです。しかも、防災無線は聞こえませんでした。一度は泳いで岩に登ったものの波はどんどん高くなってしまい、逃げ場を失ったそうです。

もんちさんの体験談、私の体験談がこの先、皆さんの命を守ることに繋がるよう願っております。


No.14
<2011年09月09日 受信>
件名:無題
投稿者:もんち

被災地の看護師さん、
お父さんのお話し、
聞かせてくれて
ありがとうございます。

逃げ遅れた後悔…
あたしは、逃げた後悔です。
津波ではありませんから。
外に出なければ、
レンガは降って来なかった。

でも、救急車や
ドクターヘリの中で、
一瞬意識が戻り、
「痛い」や「死んじゃうの?」
って私しゃべったそうなんです。
でも、痛いのも、
しゃべったのも何も
覚えてないです。
そのあと嘔吐し、
瞳孔が開き、
手術しても危篤のまま、
何日か過ぎ、
奇跡が起きたって感じです。

生きてるってゆうか、
生かされました。

あの日を忘れないで、
頑張っていきましょう。

被災地の看護師さんは、
心から笑える日がくる
ように祈ってます。
そしたらきっと、
お父さんも空から
笑ってますよ!


No.15
<2011年09月14日 受信>
件名:無題
投稿者:もんち

被災地の看護師さん、
まだこのトピックを
見てるかな…?

ついこの前、私が危篤だった
ときの話しをお姉ちゃんと
したんです。

病院にかけつけて、
血がついて、肌も黄色く、
顔もパンパンに腫れて、
そんな冷たい私の手を握り、
「痛かったでしょう?」
「怖かったでしょう?」
って思ったそうです。
私の意識が戻るまで思って
いたそうです。

私があのまま逝っていたら、
きっとお姉ちゃん達は、
私が、痛い思いをして、
怖い思いをして逝ったと
思って、きっと今も
辛いままだったと思います…。
あなたと一緒です…。

でも、意識が戻り、
何も覚えてないことを知り、
みんなも楽になったんです。

逝くとき、
苦しかったり
怖かったり
痛かったり
そう想像するのが
普通だと思います。

でも、そうではない
「死」があると、
私はあると思いました。

お父さんもきっと
そうなんじゃないかと
私は思うんです。

あなたが思った気持ち、
わたしのお姉ちゃんと
同じだったので…
楽になって欲しくて。


地震気をつけてください。


No.16
<2011年09月14日 受信>
件名:いいお話ありがとう
投稿者:匿名

いいお話ですね。泣けてきます。
最後はほんと、苦しくないのかもしれません。痛いとか苦しいっていうのは、脳が反応していることなんですね、だから脳が認識していないことは体にも伝わらないんです。
だから認知症の人が骨折してても歩いちゃったりすることがあるんですよ。折れてるとは認識してないから、痛みを感じていないんです。
人間の体って、ほんとにうまくできてるんだと思います。
必要のない情報は受けないようになっているんです。
覚える必要のない情報は覚えないようにできているんですね。それより大事なことがあったんですよ。
覚えていないことも人間の能力…素晴らしいですね。


No.17
<2011年09月14日 受信>
件名:はい、もんちさん
投稿者:被災地の看護師

見てましたよ。ありがとうございます。

なかなか死の瀬戸際を体験した方っていないものです。だから、皆さん、知らないから死の前には苦しむだろうって思いますよね。でもそうとはかぎらない…。貴重なお話、ありがとうございました。そして、私が楽になるようにと書き込みしてくださった優しさに感謝いたします。

いまだに見つからない父。見つかることを願いながらも、最近では、見つからなくてもよいと思うようにもなりました。ある新聞に書いてありました。「見つからないのはご遺族に御遺体を見せるとショックを受けるから。」という亡くなった方の優しさなのだと。

そして私が思うこと…
人間はいつの間にか墓に入るのが当然になってしまったけれど、もとは一生物。自然の恩恵を受けて生きていればこそ、自然に命を奪われるのは、ごく自然なことなのだと。そして、墓に入るかどうかではなく、一生物として、終えた命を自然界に戻し、それが他の生物の命をつなぎ、巡りめぐって私達を支えてくれていることになる。つまり生態系の流れなのですね。だから、見つかるにこしたことはないけれど、見つからないないからといって、それは悲しいことではないのだ、身体は自然界に戻り、魂は私達の傍にいるのだと、そう思うようになりました。
長くなりました。が、こうやって受け入れていることをお伝えしたかったのです。


No.18
<2011年09月14日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

本当に怖かったでしょう、どれだけの思いをしたのでしょう…。助かって本当に本当に良かったですね(涙)。たった一つの命どおかこれからも大切に守って下さい。あの日怖かったね、私も生きてる限りあの日を決して忘てはいけないと思っています。

 
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